集落にある小さな神社で、人目がないのを良いことにさい銭を盗った。盗ったお金で
コンビニでお酒を買って飲んだ。たばこも買いたかった。捕まって裁判を受けるのは初
めてではない。それどころか、刑務所に服役し1か月前に出て来たばかり。せっかく服
役を終えたのに、職にも就かず、住む家さえ定まらず、所持金はあっという間に底をつ
いた。検察官がいかに悪質で更生の可能性に乏しいかを
縷々(るる)延べ立てる。盗ったお金は
500円に満たないが、立派な窃盗罪である。用意されている罰は10年以下の懲役または50万円
以下の罰金である。決して軽い罪とは言いがたい。避難する言葉には困らないだろう。
 「弁護人の立証をうかがいます」と裁判官が問う。
 「被告人質問をお願いします」と答える私。
 本当は情状証人の採用を申請したいのだけれど、裁判を受ける彼のために証言をしてくれる人
が見つからないのだ。だから、被告人となった彼自身の話を裁判官に聞いてもらうほかに、彼の
おかれた事情を明らかにする適当な手段が見当たらない。
 むかし(と言ってもたかだか10年ほど前だが)は、誰かが証人になってくれた。被告人の罪を
一緒に謝ってくれて、ときには弁償も肩代わりしてくれた。そして、今後の関わり(裁判ではこれを
「監督」と表現したがる)を約束してくれた。
 ところが、最近感ずるのは、こうした証言をしてくれる人が少なくなっていることだ。正確に言うと、
証言してくれると期待してもよい人を持っていない人が多いように感ずる。すくなくとも私がこの数年
に間に担当した被告人は、多くがそうであった。身内はいない、連絡しないで欲しい、裁判にはだれ
も呼ばないで欲しい。情状証人を探す私に向かって、面会室の
遮蔽版(しゃへいばん)越しに彼らがそう言う。
頼れる人、頼っても構わない人がいないのである。
 証人とか証言とか言っても、事件に関してなにかを目撃したことを裁判で話してもらうわけでは
ない。被告人との関係(親であるとか、配偶者であるとか)、彼のおいたちや普段の又は以前の
生活ぶり、性格・人柄、証人が考える事件の原因又は遠因、それを踏まえた再発防止のための
手立てを述べ、その一つとしての被告人に監督を約束したりするのである。
 そして裁判官は、「証人が本法廷において証言し、被告人に対する監督を誓っている」ことを被
告人に有利な情状として酌量してくれる。それで刑務所に行くことを免れたり、実際に量刑が軽く
なったのかどうかは分からないが、すくなくとも有利な情状として言及してくれる。
 しかし、それは被告人に対する文字通りの監督に再犯抑制を期待してのことではないように思う。
むしろ、証言の背景にある被告人がもつ人々との絆の力に彼の更生を期待しているのではないだ
ろうか。
 そうすると、そうした絆を断ち切られた人に、我々はなにをすべきなのだろうか。もっともっと長く
刑務所に入ってもらうこと、ではないことだけは確かだろうと思うのだが。