現代の子どもたちを見たときに、「親離れをしてないなあ」と感ずることが多い。自立を
考えたときには、「親の愛情を受けつつ、自分でできるようになること」が成長の証である
ことにまちがいはないだろう。しかし、である。昨今、親は子どもに「してあげ続けること」
を豊かな愛情と思っている節がある。子どもは子どもで、「親と一緒に居続けること」が
愛情に対する返礼だと思っている。だから、親離れ・子離れができないと嘆いていたので
ある。
嘆いていたと、過去形の表現にしたのには訳がある。こんなにも悲しすぎる現実があるの
だろうかと目を疑った東日本大震災。その直後に現地を訪ねた私は、現代の子どもの、いや
被災地に暮らす子どもたちのたくましさを目の当たりにすることになった。子どもである自分
自身が被災者であるにも関わらず、避難所で暮らす人たちのために、ある子たちは手書きの
新聞を書き始めた。守るべきコンセプトは、たった一つ。明るい記事が絶対条件だという。
別な場所に目をやると、弁当配り・御用聞き・支援物資の仕分け・幼い子の遊び相手など、
中学生や高校生が避難所の運営を手伝っている。ここの子どもたちは、実に歯切れよく自立
しようとしていた。現実に起きてしまった負の遺産の場所に自分の二の足で立ち、必ず元に
戻すんだという強い意志を感じた。
片や、同じ時期。私はある子から相談を申し込まれることになる。彼曰く「夢をよく見る
んです。夢の中でだれかが叫んでいるんです。やめて!」と。夢から覚め、「叫んでいるの
は自分だった」と気づくという。彼の左手の手首から肘にかけて、定規で測ったような直線
の傷がある。何の傷か、想像に難くない。彼は、屈託なくその傷を見せてきた。傷をつける
と「気持ちいい」と口にしたこともある。
絶対的に不利な条件しかないのに立ち上がろうとする子どもと、両親ともに健在であるの
に腕に傷をつける子どもとの違いは何なのだろう。双方に救いの手を差し伸べたとしよう。
おそらく、避難所の彼らは救いを素直に受け入れつつ、部分的には救いを断るだろう。そこ
は、自分でできるところだからである。では、腕に傷をつける彼は、どうするのだろう。
おそらく、救いを拒否するだろう。「僕には構わないでください」と。
果たして、両者は決定的に違う存在なのだろうか。そもそも、避難所の子どもたちも腕に
傷をつける彼にも、違いはないのかもしれない。なぜならば、腕に傷をつける彼は、自分
で相談を申し込んできたのである。彼に何があったのかはわからないまでも、何か現実を
直視したくない訳があったのだろう。そこに溺れることなく、彼は自分を他人に語りだした。
つまり、『相談をすることの成功体験』を積んだのである。相談の行為に及んだ時点で
”立ち直り”へと舵を切ったのである。
今日も「いのちの電話」へ電話をかけてくる人がいる。電話をかけてきたという行為に
及んだとうことは、その人は”立ち直り”へと舵を切ったのである。