同行二人(島田 好正)

広報誌 栃木いのちの電話 第107号

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広報誌 第107号 / シリーズ 絆

同行二人
文星芸術大学事務局長 栃木いのちの電話理事 島田 好正

春爛漫の頃、順打ち・逆打ちと7年の年月を重ね歩いたお遍路に一応の区切りがついた。

長年使った菅笠や金剛杖は色褪せ、そこに書かれた「同行二人」の文字も判読が難しい。 また、身に纏った白装束や頭陀袋も薄汚れて所々擦り切れ、杖は10センチ近く磨り減っている。振り返れば、遍路道でのお接待や 道行く人から受けた温かい言葉と励ましに、心が萎えそうな時どれだけ力づけられたことかと今にして思う。

お遍路は一日凡そ35~40k mの道程を金剛杖を突きながら黙々と歩む。その歩みの中で遍路道、 獣道を通り過ぎる鈴の音と吹き抜ける風。そして木々や海の声を聴き、背筋のしびれる程の孤独感に襲われたりもする。やがて、 不思議なことに、何時と無く自然に杖との会話をしている自分に気づかされる。

特に宗教的な事でなく、だれでもお遍路をしている時に体験することなのである。杖が人(御大師様)の ような存在になって、お遍路は一人でも杖と二人での旅となる。

お遍路は悩みや苦しみを抱えた自分を杖に映し、映したら自分を客観的に省みて、また杖を介し自らに 語るのである。一日約40kmの道程を、ただ歩きながらこのことを繰り返し遍路宿に辿り着くのである。

遍路宿はお遍路が主に泊る宿である。夕方5時迄に宿に着き、朝遅くも7時には旅立つ。 宿の人はお遍路が宿に着くと、まず、杖を預かり、きちんと濯ぎ、当たり前のように床の間に立てかける。

宿では、各自洗濯や明日の準備等をした後、一同に会し夕食を取る。誰もが一日中「同行二人」で 黙々と歩いて来ての「いま、ここで」の出会いである。互いに心に溢れてくるものがありそれぞれが誰となく思いを語る。そこでは、 誰もがお遍路であり、個々人の名前は消え、ただ人として、悲しみ。辛さ。悩み。生死・病・愛憎など、 こころにあることを 心ゆくまで語り、また聞き、他者を受け入れる。そして、その後には労りとしみじみとした情感が漂い、痛みへの共感とお遍路としての 絆が生まれてくる。

翌朝には、誰もが思い思いに宿を出て行く。「一期一会」ただ一度の出会いである。しかし、 この一連のことを通して心が和らぎ、希望と勇気が湧き、次の目標に向かう元気。生きる力が出て来るから不思議である。

自由律の俳人・山頭火は「遍路即人生」と言っているが、お遍路は自然や見えない存在を感じながら、 自己を自ら見つめる壮大な旅でないかと思われる。

「いのちの電話」は相談者の悩み。苦しみ等を受け止め、杖のように心を映し、語る思いをも 受け止めながら命の再生の役割を担う。

千年の昔から多くの人がお遍路に求めてきた生きる力の再生の願いは、現在の「いのちの電話」の 思いと重なり、相談は日常的なこころのお遍路とも言えるように思われる。

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