村里 忠之:「傾聴の枠組みについて」

広報誌 栃木いのちの電話 第119号

PDFはこちらから参照可能です。

広報誌 第119号 / シリーズ listen

傾聴の枠組みについて
村里心理療法研究所 宮カウンセリングルーム 村里 忠之

いのちの電話での聴き手の基本姿勢は「傾聴」と言われていると思います。おそらく何かしら悩みがあって電話相談をする人「コーラー」は、 電話の向こうの「聴き手」が会ったこともない誰かであるにもかかわらず、いや場合によってはそれだからこそ、その「誰か」に向かって自分の話したいこと、 困っていることを語ります。これが電話相談の「枠」ですね。

僕はここ数年いのちの電話のグループスーパービジョンや東京の区の電話相談のスーパービジョンをやっていて、少しずつ分かってきたのですが、 直に対面で話すカウンセリングと比べて、電話相談の方が難しいケースが少ないかというと、そうでもありません。

有料対面のカウンセリングは、相談者に問題解決のねらいが強いとは言えるかもしれません。無料の電話相談には、只聴いて貰うだけで良いというコーラーもいるようです。 誰かに語れば、自分のごちゃごちゃした気持ちが整埋されるかもしれないので、それは理にかなった行為ですね。聴き手が目の前にいない方が、 かえってやりやすい面もあるかもしれません。場合によっては犯罪に近い内容の告白である場合さえあるようです。カトリック教会の「懺悔」等に似ているかもしれません。 この場合対面のカウンセリングの方が、目の前に居られる分、聴き手は対応に緊張を覚えるかもしれません。いずれにせよ、ただ傾聴していれば良いのか、難しいですね。

この事態は、傾聴とは言うけれど、人の話を聴くのは話す人と聴く人の関係が、何らかの枠組みを構成していることを物語っています。 自分の関わる行為(仕事)がどういう枠組みであるのか、普段からの熟慮が大切なように思います。これは事前のトレーニングで扱われているとは思いますが、 人が人の話を聴くのですから、その関係は機械的、規則的ばかりには行かない、いわば個性と個性の応答といったその都度に固有の側面があると思います。

電話の向こうのコーラーがどういう人となりの相手であるのかに想像を巡らすのは大切です。また聴き手がどういう「自分」であるのかも、普段から感じ、 考えていることが役に立つのではないでしょうか。物理的時間空間の枠だけでなく、相手と自分の人間同士の関係(相性)も相談の枠を構成するからです。

その辺の自覚がないと、無自覚的に相手に自分を押しつけることになるのは避けられないと思います。そしてそのように心がけてみると、自分を知ることにも切りが無いこと、 そして翻って相談相手を知ることにも切りが無いことに気づくのではないでしょうか。それは聴き手を謙虚にしてくれるのだと思います。

◆最初のページへ◆◇↑ ページの先頭へ◇